出土品解説

出土品解説

土器(縄文土器)
16,000年前頃に誕生した土器によって、人々は食物を煮炊きして食べることが可能になりました。土器製作は粘土紐を積み重ねて成形する方法が基本で、乾燥後に焼成(野焼き)しました。
器種は深鉢形が主で、後にいろいろな形の土器が現れてきますが、土器の形や文様は、一定の規則をまもって形を整え文様がつけられています。形や文様の変化の検討(土器型式の研究)によって、相対的な土器の編年[へんねん]が示され、近年の放射性炭素による年代測定と併せて、縄文時代は草創期(16,000年前頃〜)・早期(11,500年前頃〜)・前期(7,000年前頃〜)・中期(5,500年前頃〜)・後期(4,400年前頃〜)・晩期(3,300〜2,500年前頃)に区分されています。
御経塚の集落が始まる後期の中頃(3,700年前頃)では、文様で飾られる精製[せいせい]深鉢と飾らない粗製[そせい]深鉢が区別されていて、精製の浅鉢・皿・注口土器が組合わせができています。晩期になると蓋が加わり、後半には大型の壺がみられるようになります。
土器の部分名は口から順に、口縁部[こうえんぶ]、胴部[どうぶ]、底部[ていぶ]と呼んでいます。

土製品
土器以外のもので、土を材料とした製品をいいます。御経塚遺跡の土製品には、祭りの道具である土偶をはじめとして装身具の垂飾や玉など9種類があります。土製品の出土点数390点のうち、土偶(135点)と円盤(223点)で土製品全体の9割を超えています。

石器
石を材料にして製作した道具や道具の一部分で、直接手で使ったり木の柄などを付けて使用しました。
石器には、打ち欠いたり、押し剥[は]いで製作した打製[だせい]石器、剥離[はくり]や敲打[こうだ]した後に研磨[けんま]して仕上げた磨製[ませい]石器、加工を行わず自然の石をそのまま利用し使用の痕跡がみられるもの、に分けられ、打製石器には自然の石を加工して仕上げた礫石器[れきせっき]と剥片[はくへん]を材料とした剥片石器があります。
縄文人は硬い石の性質を理解して道具の用途によって石を使い分け、たくみに利用しています。石器の用途は、おおまかに植物質食料の採集具と調理具、狩猟・漁労具、工具類に分けられます。 御経塚遺跡では、植物質食料の採集具である打製石斧と調理具の磨石・敲石・凹石、石皿が石器の約70%を占めており、植物質の食料に大きく依存していたことをしめしています。

石製品
衣食住など生活に直接かかわる日常の道具である土器や石器のほかに、石を材料としてつくられた不思議な石製品がみられます。これらは、超自然的な力によって望みを叶えようとする呪術的な行為(まじない・祈り)、人の一生における節目に行う儀礼や祭祀の精神的な行いに使った道具と考えられています。重要な道具であったことから、長い時間をかけて丁寧に磨いてつくられていますが、具体的な使用方法や目的はわかっていません。

骨角器
動物の骨・角・歯牙などから製作した道具で、材料の骨や角を石器で打ち割ったり、剥離して整形し、砥石で仕上げています。御経塚遺跡では刺突具などの漁労具や装身具がみられます。

残存状態は良くありませんが、土器の把手[とって]や土器底部の圧痕は御経塚遺跡の特色を示すことから重要文化財につけ加えられました。