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※1 写真解説の【 】内は、写真帳に記載された説明書、《 》内は写真に写っている文字を表しています。
※2 写真帳や写真に説明がないものについても表題を示しましたが、( )内は写真帳の写真順序をもとに推定したものです。
撮影年月日
写真解説
整理番号
昭和6年3月 1931年
【本校住宅 昭和六年三月】
教員の住宅として建てられました。昭和12年には改造されて農業技術を研究する「聖農修練舎[せいのうしゅうれんしゃ]」となりました。左側の忠魂碑は昭和3年[1928]8月に建立されています。写真の場所は、現在の富奥保育園あたりです。
F001
昭和10年3月 1935年
【昭和九年度珠算部選手(昭和十年三月)】
花輪には《珠算大会 主催 山島小学校》と書かれています。
F002
昭和10年6月 1935年
【参宮旅行 昭和十年六月 於内宮前】 伊勢神宮
F003
昭和11年4月 1936年
【国旗掲揚塔 昭和十一年四月】
F005
昭和11年4月 1936年
【尊徳翁銅像除幕式 昭和十一年四月】
薪を背負いながら本を読んで歩く姿の「二宮金次郎[尊徳 たかのり・そんとく]」像は、昭和7・8年頃[1932・33)から全国各地の小学校に建てられました。明治37年[1904]から使用の国定教科書『尋常小学修身書』では、孝行・勤勉・学問・自営という4つの徳目を代表する人物として描かれました。
戦争に必要な金属資源の不足を国民所有の金属類を回収して補うための「金属類回収令[きんぞくるいかいしゅうれい]」が昭和16年[1941]8月30日に制定されたことで、富奥小学校の銅像は、昭和17年4月までに供出されています。
F007
昭和11年4月 1936年
【尊徳翁銅像除幕式 昭和十一年四月】
F008
昭和11年4月 1936年
【尊徳翁銅像除幕式 昭和十一年四月】
F009
昭和11年4月 1936年
【尊徳翁銅像(昭和十一年四月)】
台座には、論語にある《以徳報徳[徳を以って徳に報いる]》の文字がみられます。
F010
昭和11年8月 1936年
【第四部籠球優勝記念(昭和十一年八月)】
籠球[バスケットボール]大会優勝記念で、シャツの胸には《富奥》の文字があります。第四部は、石川郡内の区分のひとつで、旧の額村、富奥村、野々市町、押野村の区域です。
F012
昭和11年11月 1936年
尊徳翁【報徳祭(昭和十一年十一月)】
F011
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