富樫氏が描いた馬図[うまのず]が現在まで伝わっています。
『等伯画説[とうはくがせつ]』(長谷川等伯の談話を京都本法寺の日通が書とめたもの)によれば、雪舟[せっしゅう](1420〜1506)が、「富樫殿」の描いた馬の絵を誉め、馬以外は描かないよう助言したので、以後の富樫氏はよく馬を描いて、馬図の名手になったとされています。雪舟が加賀に訪れた時期は不明ですが、晩年に近い頃とみられ、「富樫殿」は政親か泰高にあたるのではないでしょうか。
富樫氏が描いた馬図[うまのず]が現在まで伝わっています。
『等伯画説[とうはくがせつ]』(長谷川等伯の談話を京都本法寺の日通が書とめたもの)によれば、雪舟[せっしゅう](1420〜1506)が、「富樫殿」の描いた馬の絵を誉め、馬以外は描かないよう助言したので、以後の富樫氏はよく馬を描いて、馬図の名手になったとされています。雪舟が加賀に訪れた時期は不明ですが、晩年に近い頃とみられ、「富樫殿」は政親か泰高にあたるのではないでしょうか。