富樫氏資料 - 馬図

  

富樫氏が描いた馬図[うまのず]が現在まで伝わっています。
『等伯画説[とうはくがせつ]』(長谷川等伯の談話を京都本法寺の日通が書とめたもの)によれば、雪舟[せっしゅう](1420〜1506)が、「富樫殿」の描いた馬の絵を誉め、馬以外は描かないよう助言したので、以後の富樫氏はよく馬を描いて、馬図の名手になったとされています。雪舟が加賀に訪れた時期は不明ですが、晩年に近い頃とみられ、「富樫殿」は政親か泰高にあたるのではないでしょうか。

群馬図
ぐんばのず

縦72.5×横32.5cm
三頭の馬が描かれており、「文明十七天仲秋上旬、富樫某図之、」(文明17年8月)の跋が記されています。某は伝政親[まさちか]ですが、泰高[やすたか]の可能性も考えられます。
(金沢工業大学所蔵)
牽馬図
つなぎうまのず

縦33.0×横56.0cm
動きのある人物と馬が描かれており、伝晴貞[はるさだ]筆とされています。
(金沢工業大学所蔵)
超月筆 馬図
ちょうげつひつ うまのず

縦46.0×横30.3cm
「超月筆(花押・朱印)」の超月は、晴貞[はるさだ]と伝承されています。
(金沢市大乗寺所蔵)
超月筆 乳呑馬図
ちょうげつひつ ちのみのうまのず

縦43.0×横30.0cm
「超月筆(花押・朱印)」の超月は、晴貞[はるさだ]と伝承されおり、母馬の乳を飲む子馬の姿がいきいきと写されています。
(金沢市善性寺所蔵)