住吉の宮は現在の布市[ぬのいち]神社にあたります。寛弘[かんこう]6年(1009)または康平[こうへい]6年(1063)富樫家国[いえくに]が野々市に館を構えた際、敷地内に社殿を造営したものと伝えられており、野々市市の史跡に指定されています。 住吉の宮には市指定文化財の脇差[わきざし](銘信長)が伝わり、社地には、市指定天然記念物の大公孫樹[おおいちょう]、江戸時代に日照りで水が不足したとき町内を担[かつ]いで廻った雨乞石[あまごいいし](別名、弁慶[べんけい]の力石[ちからいし])、京都聖護院[しょうごいん]の道興[どうこう]が文明[ぶんめい]18年(1486)に野々市を通過したおり詠[よ]んだ、「風をくる一村雨に虹きえてのの市人はたちもをやまず」の歌碑[かひ]がみられます。
住吉の宮は現在の布市[ぬのいち]神社にあたります。寛弘[かんこう]6年(1009)または康平[こうへい]6年(1063)富樫家国[いえくに]が野々市に館を構えた際、敷地内に社殿を造営したものと伝えられており、野々市市の史跡に指定されています。
住吉の宮には市指定文化財の脇差[わきざし](銘信長)が伝わり、社地には、市指定天然記念物の大公孫樹[おおいちょう]、江戸時代に日照りで水が不足したとき町内を担[かつ]いで廻った雨乞石[あまごいいし](別名、弁慶[べんけい]の力石[ちからいし])、京都聖護院[しょうごいん]の道興[どうこう]が文明[ぶんめい]18年(1486)に野々市を通過したおり詠[よ]んだ、「風をくる一村雨に虹きえてのの市人はたちもをやまず」の歌碑[かひ]がみられます。