富樫氏は、藤原利仁[ふじわらのとしひと]の流れをくむ加賀斎藤氏の一族で、高橋川中流域の富樫郷を拠点としました。利仁から7代の家国[いえくに]が「富樫介[とがしのすけ]」を称したことが富樫氏の始まりといわれ、康平[こうへい]6年(1063)野々市に館を築いたとも伝えられています。 利仁から4代の忠頼[ただより]が加賀国司[こくし]の勅命[ちょくめい]を受けたとされる永延[えいえん]元年(987)から1000年の記念として、昭和63年(1988)に富樫家国の銅像と富樫氏の歴史と伝承を顕彰[けんしょう]した石碑が文化会館の南側に建てられました。
富樫氏は、藤原利仁[ふじわらのとしひと]の流れをくむ加賀斎藤氏の一族で、高橋川中流域の富樫郷を拠点としました。利仁から7代の家国[いえくに]が「富樫介[とがしのすけ]」を称したことが富樫氏の始まりといわれ、康平[こうへい]6年(1063)野々市に館を築いたとも伝えられています。
利仁から4代の忠頼[ただより]が加賀国司[こくし]の勅命[ちょくめい]を受けたとされる永延[えいえん]元年(987)から1000年の記念として、昭和63年(1988)に富樫家国の銅像と富樫氏の歴史と伝承を顕彰[けんしょう]した石碑が文化会館の南側に建てられました。